|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 家 : [いえ, け] 1. (suf) house 2. family
ムバーラク・シャー(? - ?)は、中央アジアを支配したチャガタイ・ハン国の第6代君主(在位:1266年)。 父は第2代君主のカラ・フレグ。監国として国政を執ったオルガナを母に持つ。イスラム教徒であり、篤実で公正な人物と伝えられる〔ドーソン 1971、25頁〕。ムバーラク・シャーの即位は慣例に従った地であるイリ河畔のオルドではなく、イスラーム文化の中心地であるアングレン河畔で行われた〔ウェ・バルトリド『中央アジア史概説』(長沢和俊訳, 角川文庫, 角川書店, 1966年)、104頁〕。しかし、ムバーラク・シャーの改宗がウルス全体に影響を及ぼしたかについては疑問視されている〔北川誠一、杉山正明『大モンゴルの時代』(世界の歴史9, 中央公論社, 1997年8月)、357頁〕。 母オルガナはアルグによって廃位された後にそのアルグの妃になり、アルグにチャガタイ家の当主となる大義名分と引き換えに、ムバーラク・シャーの後継者としての地位を確保した〔杉山 1996、44頁〕。1266年にアルグが死去すると、チャガタイ家内部の総意によって当主に選出された〔。しかし、中央アジアとチャガタイ家の統制を図るクビライが、彼に近侍していたバラクをムバーラク・シャーの共同統治者として派遣すると事態は変化する〔〔。ムバーラク・シャーはバラクによって廃位され、ケシクの鷹匠(シバウチ)に落とされた〔杉山 1996、45頁〕。 バラク没後はアルグの遺児カバン、チュベイ兄弟と共にオゴタイ家のカイドゥの元に投じ、彼を「アカ」(モンゴル語で「兄」を意味する)に奉じて、チャガタイ家の指導者として推戴した〔杉山 1996、62-63頁〕。 後にムバーラク・シャーはイルハン朝に亡命し、カラウナス(ニークダーリヤーン)軍団の長としてガズナ方面に駐屯し、生涯を終える〔杉山 1996、67-68頁〕。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ムバーラク・シャー (チャガタイ家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|